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02/03: 週末韓国



土曜日朝一の便でソウルに行き、月曜日の最終便で帰ってきた。満喫。帰りに乗ったタクシーで、乗ったとたんタクシーの運転手が雪が降っているのにもかかわらず窓を全開にした。キムチ食べすぎ、ニンニク食べ過ぎ、私はそうとう臭いらしいです。

韓国では、ライブハウスで音楽を聴き、ミュージカルを観て、それからバイブメーカーと商談をし、親友のチヒョンとお茶をした。

ホンデ、という大学がいっぱいあるエリアは週末ともなると、こんな状況(写真!)。地下鉄の階段! まるで大晦日の明治神宮並の混雑です。

行ったライブハウスは「空中キャンプ」という名前で、日本のバンド「フィッシュマンズ」のファンたちが集って、ほとんどボランティアで運営しているという珍しいライブハウス。日本人のバンドも友情出演でよく来ているみたい。その日は、元々お客さんだったという日本人男子のバンドがフィッシュマンズのカバーを歌っていました。さらに別のライブハウスでも、これから韓国を中心に売り出していく、という日本のインディーズバンドに偶然出会った。ちなみに、これもたまたまだけれど、沢知恵さんもちょうど韓国にいて、ライブをやっていたんですよね。

ああ、本当に、近い。隣の国。こんな交流が長い間できなかった「失われた何十年」もの月日のことを思わずにいられない。「外国」がこんなに近くにあること。「ご近所さん」の存在のユニークさと、お付き合いの面白さ。何度も韓国に行っているけれど、今回は、多くの日本人にたまたま出会う、という偶然もあってか、ますます韓国が近く感じ、「ご近所さん感」が増した旅になりました。

01/26: 後味悪い

ああ、気分が悪いなー。
年末に受けたフェミ系団体からのトーク依頼を断ってしまった。
理由は忙しいから、というのもあるが、一番は、ギャラが出ないから。
忙しいを理由に断る私に相手の女性が
「時間があえば、お願いできるということですか。それとも、条件が合わないからですか?」
とスッキリ聞いてきた。さすがフェミ。ハッキリしてる。そして私はしどろもどろに、
「条件が合わないからです。仕事か何なのかわからない仕事は、したくないんです」
と言いました。
どんな言い方をしても「金をくれ」っていう風に捉えられるだろうな、と思う。

でもハッキリ言えば。もうフェミの人たちがフェミの対してやってしまう、「フェミどうし」だからとか「女の団体でビンボーだから」という甘えに、私がもう耐えられなくなってきているんだと思う。
高額なギャラを要求しているわけじゃない。5000円です、3時間拘束です、と言われても興味を持ったり必要だと感じたら私は行くし、今までそうしてきた。ギャラは出ません、なぜならこういう主旨でこういうわけだからです、という仕事だって納得すれば出てきた。

でも、今回の場合は、本当に、ムリだった。ムリな理由はいっぱいあるのだけれど、トークの依頼がまず「私たちの仲間が、あなたに来てほしいと言っているから」ということであったこと。そしてさらに、「何を話せばいいですか?」「拘束時間はどのくらいですか?」「どういう人が来るんですか?」「ギャラはいくらですか?」「交通費は出ますか?」「どこで話すんですか?」ということ全て、私の質問があった上で返してきたこと。そしてラブピースクラブの住所を電話で確認してきたのだけれど、そういうのって、電話口のスタッフ誰でに聞いてもいいと思うのだけど、私を電話口に呼び出して住所だけ復唱させたこと。しかも復唱した住所をさらにメールで確認してきたが、ぜんぜん間違っていたこと。だいたい住所なんてラブピースクラブのホームページみればわかるのに(だって、この団体の人は、私がどういう団体ですか? と聞いたら、ホームページ見て下さい、って言ったんだよ)。

でも、そういう事務能力の低さは本当はどうでもよくて、ただただ、「フェミ他者」に対する配慮や想像力が、なぜか社会経験いっぱいありそうな、そして声の大きなフェミな人ほどグンと低くなってしまうことが、私には不思議でたまらんのですよ。
後味が悪いのは、「結局、条件ですね」という風にしか捉えられない、フェミ特有の”ドライ”さに、それだけじゃないんですけどね・・・という悶々を、私が言葉にできなかった力なさのせいなんだろう。

01/15: 鴨居洋子さん

http://www.tunic.co.jp/yoko-kamoi2.htm

まだ会社があったなんて、知らなかった・・・・。
しかしそれにしても、鴨居洋子の斬新さと前衛さをさっぱり残さないひどいホームページ、かなしい商品リスト。いいの!??? これで!!! と叫びたくなるのも、今、ずっと鴨居洋子さんの本を読んでいるから。

不思議な感覚に何度も陥った。読んでいるうちに、ふと、「あれ、これ、あたしの日記?」と思うような箇所が何か所もあったから。
組織から逃げたのに新しい組織をつくってしまう自分、創造と商売の間を行き来する柔らかい葛藤、みたいなもの。そんな自分を抱えながら、乗り始めた道を走り続けてしまうことへの不安とか、うまくいかない不満とか、新しいことを次々にしたいと願う自由と軽さと刺激への憧れとか、なのにいつまでも安定できないことにストレスを感じたりとか、他人にいらだったりとか、他人を愛したりとか、犬と猫とは簡単に心通ういあうように感じる世界観とか。
ああー、似ていること、いっぱい。
女社長。
どこが似ていて、どこが違うのか。そんなことを考えながら、今日は寝てみよう。

今、サンフランシスコ。
夜、少しさみしくて、ラブピースクラブのスタッフとスカイプ。やさしくて、気持ちのいい人たち。みんなすごい働き者で、職場がいつもちょっとした緊張と一生懸命な気分で満ちていてとても働きやすい。がんばらなくちゃ、女のエロのために、楽しく仕事しようね、っていつも思う。留守中、本当にありがとう。月曜日には戻るからねー。

01/12: 遅れましたが、あけましておめでとうございます。

新年、あけましておめでとうございます。

って、今さら何言ってんのか、という感じですが。土曜日から一週間、アメリカで仕事があったので、そのための準備でバタバタとしていました。あと、なんだか気持ちがずーっとわさわさと。だって、初夢が、のりぴー、だったんだもの。縁起のいい夢みますよーに、と張り切って寝たのに、のりぴー。しかも、誰かがなんだか死んでしまったとかいうエピソードもうっすらと入っていて(完全に押尾学)、私はのりぴーのことを、そんなにも愛して、気に病んでいたのか・・・と気付かされた新年でした。

ということで、今年もよろしくお願いします。よい一年になりますように。


12/27: ファイト

先日「あなたには年収200万円台のシングルマザーの気持ちがわかる?!」
と問われた。
私にそれを問うた人はシングルマザーでもなく年収200万円台でもなかったが、年収が多い人(この場合は私のことを示していた)に、社会的弱者の苦しさはわからないでしょう、と言いたいようであった。
こういうことを言われるのは、二度目。ずいぶん前にも「年収200万円台の私の気持ちを北原さんはわからない」と言われたことがある。

「他人に他人への想像力」を強いる人が、目の前で困る友の心境を想像できないのはなぜ? なーんてことは口にしなかったが、なぜか「年収が低くない女」のことを、鈍感で資本主義に無自覚に参加する反エコで愚かで想像力のない女、という風に責める貧乏正義系フェミが増えているように感じるのは、私だけでしょうか。貧困は改善すべき問題で正義じゃないのに。

格差社会の本当の怖さは、「あなたに、貧乏人の気持ちはわからない。あなたに弱者の気持ちはわからない。」というようなことを、正義の顔をして振りかざすような人が増えることじゃないかな、と思う。

私は、秋葉原の通り魔殺人事件をおこした男のことを、一部のロスジェネ世代が「君」づけで呼び、「格差社会の象徴的殺人」として彼に同情的であることを激しく嫌悪している。確かに彼は、職業は安定せず、貧困層で、将来が不安であったことだろう。犯罪は社会が生み出すものであろう。でも、こんな犯罪を二度と犯してはいけないためにするべきは、彼を「君づけ」で呼び「わかるよ・・・もしかしたら私だって・・・」と共感することではなく、「幸せなあなたに、不幸な私の気持ちはわからない」という他人に自分の価値を預けてしまうようなそんな甘えからの脱却じゃないの。

被害者のまま生き続けないために、自分が自分を傷つけないための道を模索したい。
傷をなめ合える関係にとじこもり、自分と違う立場の人への共感や共鳴を諦めてしまう前に。
「社会が悪い」のは当然の前提だが、「私はかわいそう」という自己憐憫を肥大させてはいけないと思うから。
そうでなければ、互いが互いを奪い合うような関係しか、うまれないから。

ちなみに、私はなぜかすごく稼ぎがいいと思われているが、女性向けのバイブ屋なんてね、本当に驚くほど、チマチマした世界ですからね。ラブピース、零細ですからね。本当に稼ぎたかったら、男向けのバイブ屋、やってるよ!! そこんとこ、よろしく。

と、ここまで書いたら、一人暮らしの女友だちから電話。
彼女が友だち(アルバイトで生計を立てている)と飲んでいる時、今住んでいるところの家賃を聞かれて(高層マンションです)答えたら、むかつく、と言われたのだって。嗚呼! 高い税金払っているのに嫌われる、いいことのないシングルリッチガール。せめて夜景だけでも楽しませてよ。

中島みゆきの「ファイト」の一節。
「力ずくで男の思うままにならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ」(中島みゆき『ファイト』)
この歌の文脈でいけば、少し前までは、
「金で頬を叩かれないですんだぶんだけ あたし金持ちに生まれればよかったわ」
と歌うべきなんだろうが、今は、
「自分をもっと肯定できたかもしれないぶんだけ あたし金持ちに生まれればよかったわ」
と歌う時代なんだろう。かなしいね。ファイト!

12/24: ラジオ、今週は紅音ほたるさん、登場です。

クリスマス。
昨日、姪っ子の通っているバレエ教室が主催する公演を観にゆきました。
日本を代表するプリマ、森下洋子さんと清水哲太郎さんの「クルミ割り人形」。二人とも1948年生まれよ。
美しい色しか、美しい音しか、美しい踊りしかない世界。美を追究する鬼たちが、みなぎる緊張を美を通して伝えてくる、鋭くて怖くなってしまうような・・・・なんというか、ほんわか幸せになる・・・というよりは、姿勢を正される美しい舞台でした。

ラジオの仕事をはじめて1月。
少しずつ、「FM局」の雰囲気にも慣れてきました。一緒にしゃべるFMFUJIの看板DJでもある神田亜紀さんにすごく助けられています。
プロのしゃべり手と差し向かいで、プロの制作者たちのディレクションによりつくる番組。限られた予算で限られた時間でたくさんの人の手によってつくる凝縮された時間は、無駄にできないっ、とにかく誰もが全力よ。

ラジオ、今週土曜日深夜1時から。今週は元AV女優の紅音ほたるさんをゲストにお迎えしています。

12/23: きちんと、生きろよ、な、って人に言ってる場合か。

週刊朝日の忘年会に行ってきた。
室井佑月さんや小倉千加子さんに会えるかなっ! と思っていたけれど、残念、お二人はいらっしゃらず。南伸坊さんがいらして、その顔の思いの外の小ささに驚いた。だって、すごく顔が大きいイメージがあるじゃないの。にこにこして、小さいっ! 小さいっ! って見つめてた。

恒例という「ビンゴ大会」に、賞品として私はバイブを提供。どなたの手に渡るかドキドキしていたけれど、とてもいい感じのライターの女性にあたった。末永く、お幸せに〜! 私は私でワインボトルがあたりました。週末の友だち宅の忘年会に持って行こうー。ほろ酔いで楽しい夜。

出かける前に、ちょっと気分が沈むようなことがあった。言葉を重ねるごとに深く暗い沼にずぶずぶとはまっていく不幸行き思考回路との衝突、というようなやりとり。ぐったりしていたら、いたづら電話がかかってきた。
はーはーはー、とか言っている。こういう電話は黙ってそのまま放置したり、ガチャって切ったりするだけなんだけど、今日は思わず説教しちゃったよ。
「きちんと、生きろよ、な」

しかし冷静に考えれば、人に言っている場合ではないのである。
前向きに、心痛めずに、きちんと生きるって、簡単なことじゃありませんからね。この国で生きる女ですもの。ついつい、将来は不安、将来は暗いという現在を生き続けてしまうことだってあるよね。誰かを呪いたくもなるよね。いたづら電話もかけたくなるんだろう。生まれた環境を恨んだり、前世を呪ったり、親をいじめぬいたり、他人の悪口を言い続けたりもしたくなるんだろう。

でも、それは無駄無駄無駄じゃー! と最近はよく思う。それどころか、社会に対して怒るのも無駄、とか思ったりするやばめの私、元フェミ。だって、希望を見ない者が抱える怒りが、暴力としてしか発散されない例をやまほど見てきたんだもの。怒りではなく光を信じる者の悔しさ、という感情を「共感を呼ぶ言葉」に成熟させていくことを心がけなければ、自滅するよ、ほんと。

もちろん、「怒る」という自分の感情を押し殺してしまうのが「女ジェンダー」であり、だからこそ女はまず怒れ! というフェミ系言説も私自身が信じてきたものだし、「怒り」がなければ始まらないっ、っていう状況もあるのはわかる。でも、蓄ようが、発散させようが、「怒り」という感情って、柔らかい心のヒダヒダ(それはまるで膣の入り口のような)をセメントで堅めた上に瞬間冷凍した上にナイフで傷つけまくるような感情なんじゃないかとも思う。「怒り」という感情と長くつきあってくると、そう感じる。怒るの反対語は、なーなーにすますとか、へらへらと卑屈になる、とかじゃないから。怒るの反対は、ただ、怒らない。怒らないけれど、抗議はする。怒らないけれど、交渉はする。怒らないけど、それは違う、と言葉にできる反射力を身につける。悔しさを他人のせいには、しない。自分の怒りで自分を傷つけない。「私」には想像も及ばないことで傷つくから「他人」なんだということを、私たちは互いに理解した上で、ぶつかることを恐れない。

そんなことを、疲労するやりとり何個かと、いたづら電話と、年末の忙しさにパニクリかけている自分に気がつき、思う。きちんと生きろよ、おれ、だ。他人の怒りにも、いたづら電話にも、つきあわない。聞くべき話と、語るべき話と、真実と、ゆがんだ妄想と、言葉通わせる相手と、通わない相手、はいはい、事業仕分け、事業仕分け。光を見つめて、前むいてー、きちんと、生きるで。

12/23: ひまわり。

最近、39歳になりました。
30代を振り返ると、正直、あまりよいことがあったとは言い難い10年でした。
人との距離をどう取ってよいのかわからなくなる、私にはとてもダメージの大きい問題がおき、その心の整理に追われた10年だったようにも思います。失恋の痛手は新しい恋愛で回復できるけれど、友人を失った痛みは、その後に素晴らしい友人ができても回復しないものだと知りました。

ゴッホがゴーギャンのために描いた「ひまわり」を、この秋に行ったオランダでみました。共に暮らし共に創作する約束したゴーギャンを待つ間に描いた「ひまわり」。なぜ「ひまわり」を描いたかと言えば、ゴーギャンがゴッホの「ひまわり」を褒めたことがあるから。浮世絵に触発され、アーティストどうしの共同創作に希望を見いだしたゴッホが、友を待つ時間をゆっくりと満たすように描いた筆づかいは、はじけるような歓喜、そのもの。一点の不安もなく、ゴーギャンを待つ喜びだけが、黄色の世界にはある。絵の前で、身動きができなくなりました。






12/22: ロスジェネの定義

前回のコラムで。

ロスジェネって、広くは1971年生まれから、ですよ。

という指摘をいただきました。
そうなのね・・・。なんとなく、飯島愛ちゃん、同世代、という気分でいたので1972年までってくくったけど。そうなのね。ではなおのこと1970年生まれの地味具合が光りますね。

nosuma さん、指摘、ありがとうっ!




12/16: 地味な私たち

「このままじゃ、私たちの世代の代表って、勝間和代になっちゃいますよ」
と、1969年生まれの新聞記者が言ってた。

そういえば改めて思うけど、1968年から1972年生まれって、ものすごく中途半端な「世代」なんだよね。上は完全なバブル組。下はロスジェネ。で、ここは・・・名付けられない世代。地味な私たち申・酉・戌・亥・子。なんだかこう書くと、干支的にも地味だわ。

で、この世代で一番目立つ論客といえば勝間和代さんなわけで。
しかし、勝間さんと私、ぜんぜん、時代を共有できないんだよね。

「あの人、ずっとメンタリティーが受験生なんですよ」
と記者は言う。なるほどね、よくわかるそれ。目標校を定め、そこに向かって最短距離で効率のよい勉強方法を獲得する。まさに受験生メンタリティ。それって、私たちの世代でも、なんだかずれている感じがする。受験生メンタリティというと、60年代前半、金属バットで親を殺した世代(ってそんな乱暴なくくりでいいのか)なイメージなんですけどね。

とにかく、「勝間和代になっちゃいますよ!」といわれて、なんだか一瞬わけもわからず焦ったけれど。ただ、こういう同世代と繋がれないって感じも含めて、この世代なのかもしれない。

ただ一つ思うのは、なんだか鬱屈したこの00年代に30代まるまるを過ごしたこの世代は、アンラッキーだな、ということ。本来ならば最も仕事の上で成長し、やりたいことをやれる機会を得て、どんどん体と頭を動かしていける30代、なのに、時代の鬱屈した空気をそのまま背負ってなんだか息苦しく生きてきた・・・というのが共通の時代感なんじゃないでしょうか。
どうですか同級生のみなさん。