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07/03: 名前の呼ばれ方
モッチちゃんと二人で温泉に行ったら、受付の人に「奥様」と呼ばれた。それはマダ〜ムな奥様ではなく、オクサン、という意味合いに近い響き。
”奥様、チケットはこちらで”
60頃のオジサンが私にそう言う。
「私、奥様じゃないけど」
とはとっさに言えず、オヤジが差し出した靴箱の鍵をもぎ取るようにして受け取り、ぶんぶんと肩をいからせて女風呂へ向かう。
奥様じゃなくていいじゃん、お客様でいいじゃん。女とか、立場とか、そういうことを、勝手に決めつけて呼ぶなよ! と色々とブツブツ怒ってみるが、なんでこんなに腹立たしい思いになったのかな、自分でも不思議である。
呼ばれ方が気になる。
たとえば「みのりちゃん」。
確認なく、みのりちゃん、と呼ばれると驚く。え? そんな関係だったっけ? と思う。私を「みのりちゃん」と呼んでいいのは、私とセックスした人だけ、となんだかそんな風に信じ込んでいるところがあって、一度か二度しか会っていないのに、いきなり「みのりちゃん」と呼ばれると、はらはらしてしまう。
ちなみに「みーちゃん」と呼ばれるのは、嬉しい。落ち着く。いろいろと、腹をわって話せそうだし、腕を組んで甘えられそうな気すらする。
そういう基準は、自分だけのもので、うまく説明できない。
今、私を「みのりちゃん」と呼ぶ人の顔を思い浮かべる。
みな、親しみを込めて呼んでくれているようなのだが、なんとなく私の反応が悪いことに気が付いているのか、あまり呼びやすそうではないのかも、と思う。
どうでしょう、みのり、と呼び捨てで呼んでください。もしくは、みーちゃん、と呼びかけ、一気に近づいてください。時々は、奥様、とふざけて下さい。初対面の60代のオトコに言われる以外は、楽しめそうな気がします。
06/04: 商人はずるがしこくなくちゃ、だめなのか?
先週はバタバタでした。ラブピースクラブで代理店をやることになったバイブ(SaSi)のデザイナーがイギリスから来日。28歳のジュード・ロー似のイケメン/身長190cmと一緒に営業しまくりました。
しかし・・・私、本当にイケメンとか身長が高いとか、肉体的な男の美点にまったく反応できないカラダになっている。ピンク先生がそのデザイナーにむちゃくちゃ反応して、かっこいい、トモダチになりたい、日本の彼女になりたいっ、と大騒ぎしていて初めて、ああこの人はかっこいいのか、この人はいい男なのか、とマジマジと。イケメンよりも、どっちかというと、メールの文章とか電話の声に濡れるな。
ところで。SaSiはイギリスではランジェリーショップなどで売られている、高級セレブ系オシャレバイブ。
日本でもランジェリーショップで販売できたらいいね、と私とそのイケメンは赤坂ミッドタウンや六本木ヒルズなどを回って、市場を視察し続けました。ほぼ一週間。
六本木ヒルズや赤坂ミッドタウンではバイブを売っているお店が二軒あるのだけれど、お店の人に「売れ行きはどうですか」と聞いても、「外国人しか買いません」みたいな反応だった。代官山のソニア・リキエルの娘がプロデュースするお店にも行ったけど、相変わらず信じがたい値段設定をしていて(リキエル、と入れるだけでラブピの5倍!)、まったくバイブが売れている様子はなし。日本のオシャレ系ブティックでバイブが飛ぶように売れる日なんて・・・来るのかしら。
ちなみに、日本で一番バイブを売っているのは、ドンキホーテです。
イギリスのイケメンに、
「日本で初めて女性だけで運営する女性だけのお店は、本当にあなたのお店?」
と聞かれた。
数ヶ月前に日本から
「私のお店は唯一、そして日本で初めての女性だけで経営するお店です」
というメールがそのイケメンに送られてきて、SaSiを扱いたい、と言ってきたのだそうだ。商売は世知辛いな。みんな競争。競争し続けて競争し続けて、毎日毎日走り続けてなんぼ。
アメリカでは自由経済が破綻しつつあり、そして資本主義そのものの限界みたいなものを感じつつある世界だけれども、末端にいる商人たちはそんなことおかまいなし。どう出し抜くか。どう生き残るか。資本主義のルールを死ぬもしれないギリギリの忙しさで守ろうとする。生きるために。
そのお店のオーナーを知っているだけに、いろいろと大げさに悲嘆したくなる。
あー、どうやって商売をしていけばいいのか。いつもいつも考えている。13年、「商人」をやってきて、なかなか私には商才というものもあるのかもしれないと思ったり、とはいえ「走り続ける」ことに絶望するような気分になったり。「あるていどずるがしこくないとこの世界はやっていけない」・・・なんていう、「悟り」の位置には絶対に達したくないから、自分の仕事の仕方、というものをきちんと見つめていなくちゃ、と思う。
商売どうのこうのではなく、SaSiは、むちゃくちゃいいバイブです。
イケメンに反応しなくても、バイブの音には反応するカラダになっている私。カラダってこわい。。。。
05/27: 東京プライドフェスティバル
笹野みちるさんと竹内佐知子さんとのステージ上のトーク。イベントを取り仕切った砂川さんの司会が絶妙にうまく、言いたいことを気持ちよく安心した気持ちで話すことができました。
竹内さんは、ネットで顔写真が出ることを避けたいとのことで、紙袋をかぶっての出演。
セクシュアルマイノリティの運動もフェミの運動もまったく「知らなかった」竹内さんだけれど、こういう人の「無意識」な感じが、時代を一歩進めるのよね・・・と思いながらも、紙袋。いろんな矛盾や問題はまだまだ山積みなのよね、と思いながら、話は、「運動と個人」というような内容になった。
笹野さんは、「私という存在が他者に傷つけられることはない、という信じられる気持ち」について語った。社会に怒りを持ち戦うことよりも、自分自身への信頼をいかに保ち続けることの難しさについて。自分の内側にある怒りを見続け、そこを救うことでしか、真実はないという話を。
そうなると私はやっぱり「社会も悪いです」と言っておかなきゃ、という感じで発言した。けれど、たぶん、笹野さんと私は同じような気持ちでいたと思う。
被害者としての立場だけで、怒りと憎しみと嫉妬に満ちた戦いや運動やコミュニティは、すぐに壊れちゃうことを、たくさんみてきたから。
自分が一番変わること、自分が今までになく開け、充足できる、そういう戦いや運動でなければ、と私は思う。国家や社会や組織を背負った被害者意識だけの言葉では、誰の事も、誰の心も、自分自身の本当も、何も変わらないと思う。というようなことは、その場では話せなかったけれども。
一部始終はいずれYouTubeでアップされるのだそうです。
聞いてくださった方、ありがとうございました。
05/13: ノーノーボーイジョージ!
ヤフーニュースでボーイジョージが出所した写真が。ノーノーボーイジョージノー!!!!!!!!!! 弛緩にもほどがあるというものよ!
「顔」についてネットで検索していたら、「美容整形に失敗した」という韓国人女性に出会った。正視するのに数分かかった。彼女の目は左右ばらばらにそれぞれ崩れ落ち、口は大きな穴でしかなく、鼻は陥没し、顔はぶよぶよに肥大し幾重にも皮膚が重なっている。顔が肩幅と同じくらいに膨れ上がっている。必要のない整形を繰り返したうえ、あろうことか、自分で食用油を顔に注入してしまったのだ。
「整形の失敗」なんかではない。これは明らかに心の病。美への強迫観念と、整形手術への依存。
顔がどんどん崩れていってもなお、彼女は注射をやめなかったという。
そんな彼女が注射をやめたのは、いったい何がきっかけだったのだろうか。
依存していたものを手放した瞬間につきつけられた現実を、その女性はどのように受け入れたんだろう。
食べることで、もしくはセックスで、もしくは過去のトラウマをあたためつづけることやまたは宗教や教祖に。依存する私たち。ありのままの自分なんて、絶対に受け入れられない女の病。
ボーイジョージが吹き飛んだ。
「美しくなる」ことを求めすぎた女に与えられた「罰」。“彼女”のニュースからは、そんな意図を感じる。
芸能界を目指していた美しい女であった彼女が「壊れていく様」が、「欲望に対する戒め」というような「いい話」として消化されることは、たまらない、と思う。整形の問題、ではなく、これは、女の問題でしかない。
ボーイジョージは、カメラにむけて手をふるな。夢を売る仕事とは、そういうものであるはず。80年代の私の教祖・・・。
05/07: 雇われたい。
ああ、強烈に、誰かに雇われたい。お給料をもらいたい。
ボーナスが欲しい。
会社員です、って、アンケートに書きたい。
というような気分になるのは、五月になった証拠。
保守化と鬱化が進行する五月です。
05/06: ゴールデンウィーク
いかがお過ごしで。私は、ケータイ電話を洗濯機で洗う、という一日から連休が始まりました。
当然、ケータイ電話を充電器につないでみても、うんともすんともいいません。いつもなら光る赤いランプも、全くつく気配がありません。完全に、お眠りになられました。
ケータイ、いったい、何個、取り替えてきたんだよっ!
初めてケータイ電話を持ったのは、22歳の時。当時つきあっていた人にもらった。「持たされていた」というのかもしれない。コギャルはポケベルだけど、私はケータイだよぅと、恥ずかしい物を持っているような気持ちだった。ケータイはオジサンくさいものの象徴だったしな。とはいえ、つきあっていた男その人こそが、オジサンなのだった。そのオジサンのことを「好きではなかった」という気持ちは、はっきりと持っていた。なのに、ずるずると「つきあっている」という形を取り続けている自分はいったいなんなの? というような反省すらあまりせずにいた私はいったい何だったのだろう。
次にケータイを持ったのは、たぶん26歳の時。だったかな。小さくて、黒っぽい灰色をしていて、ボタン部分にパカってかぶせるようなカバーがついているヤツ。折りたためるのとはちょっと違う、ただのカバー。あまりに小さかったから、耳にあてていると、マイク部分が口元からだいぶ離れてしまい、それはほとんど目のあたりにあった(かお、大きい)。そのため話す時は口もとにあてて、聞く時は耳に戻す、というトランシーバーのように使っていた。誰と話していたのか、あまり覚えていない。ケータイ持っていない人も多かったし。ただ、「オジサンくさい」印象はもうケータイからは消えていて、「仕事できる人っ!」という気分が、ケータイを使っているとちょっと心のうちで盛り上がったのであった。実際は、ほとんど仕事なんかなかったけれども。
次に買ったケータイは、防水用のカバーがついたもの。
そのケータイを買った直後、私に初めてケータイをくれたオジサンに偶然会うことがあった。
そのオジサンが私と同じケータイを持っていた。オジサンはひどく驚いて、運命っ! みたいな感じのことを言うんだけれど、当時のケータイの種類はそれほど多くなかったし、防水付きのものはソレだけだったからさして驚くことではない、みたいなことを私は言った。なんでこういう人と私はセックスできていたんだろう、と気持ちが悪くなった(自分に対して)。私は本当に身勝手だ。
34歳の時。大切だと思っていた友人関係がボロボロに壊れてしまうような気分になって、もうやだぁ、と思って、auに変えた。番号も変えた。新しく人間関係を築くような気持ちになった。安易である。
それからのケータイの変遷はあまり覚えていない。突然仲間由紀恵がイヤだな、と思って、ソフトバンクに変えた。なぜ仲間由紀恵がイヤなのかは、まったく自分でもわからない。ストレートなロングヘアが怖いのかもしれない。ソフトバンクのCMがいいと思ったことは一度もないけれど、全てのケータイ会社を体験してみよう、となんだか自由な放浪をしているような気分になった。ケータイ会社を乗り換えるのは、できない引っ越しをするような気分。変えてスッキリ。新しいソフトバンクサービス。
それから今のケータイにいたるまで・・・・いくつあったのか、あまり覚えていない。3個か4個。いつも、壊したり、捨てたり(わざとではない。ゴミと間違えて、捨ててしまう)。私には、昔昔の巨大ケータイの方が向いているのかもしれないよ。
ということで、今回のケータイ洗濯事件で、みなさんのアドレス・電話番号、わからなくなりました。恐れいりますが・・・これを読んでくれている私の知人・友人の方々、私のケータイメルアドにご一報いただければ・・・幸いです。何度目かのお願いで本当に申し訳ないです。
05/03: 忌野清志郎さん
ヤフーニュースで今、知ったところ。さみしいなぁ。
大学生の時に初めて一人暮らしをした部屋で、「ずーっと夢みさせてくれてありがとう。ぼくはデイドリームビリーバー、そんで彼女はクィーン」って、気が触れたみたいに歌いまくっていた時に、私は何を考えていたんだったっけかな。忌野清志郎の声は、確実に私の細胞の一つになっていると思う。小さな部屋の小さな出窓の前にうずくまりながら、すごく不安になったり、突然気が大きくなって何でもできるっ! と子どものように世界の王様気分になったり。これからどんな風に生きていくんでしょうか私は・・・とぐるんぐるんしていた私の18歳の時の一部。
さみしいなぁ。
04/26: 傷つきました。
「傷つきました」と言って、相手を責める人がいるけれど、私はこれ、自分ではしないように気をつけている。
「腹が立った」
「悲しかった」
でいいじゃないか、と思う。
なんだか急にそんなことを思います。
04/23: 裸になって何が悪い
「裸になって何が悪い」草彅剛さんが、公然わいせつ罪で逮捕される時、そう警察に言ったらしい。
なんでも、深夜の公園で大声でしゃべっていて、近所の人に通報されて、警察が来たら、全裸であぐらかいていて、警察が注意して連行しようとしたら抵抗したらしい。警察は全裸のまま、草彅剛さんをビニールシートでグルグルと包んで、パトカーの後部座席に寝かせて警察に連れていったそうだ。
どんな暴れ方をしたのか知らないが、ビニールシートで人間をグルグル巻きにしている警察官の様子を想像して、とにかくイヤな思いになる。物じゃん、それじゃ。
裸になって暴力をふるったわけでも、裸になって女の人を追いかけたわけでもない。まして、酔っぱらって運転したわけじゃない。裸になって大声でしゃべっていて、"近所に迷惑をかけた"。警察の注意に素直に言うことを聞かなかった。それだけ。と思っちゃう。テレビでは一斉に「草彅剛容疑者」と草彅剛さんを呼び、テレビ画面をみただけだと、何か重大な犯罪を犯したような気持ちにさせられる。警察が「やり過ぎ」ってことだって、あるんじゃないの。そこまでして逮捕しなくちゃいけなかったことなのか。
ちなみに。
ずいぶん昔、ラブピースクラブの店内でチンコ出した男がいた。
警察につきだしたら、警察はその男をあっさりと帰宅させ、逆に「わいせつ物陳列罪」の容疑で私に話しを聞きに来たことを思い出した。
04/22: 林真須美被告のこと
いくらなんでも。あいまいな状況証拠と、あいまいな目撃証言と、全くの自供なしで、死刑にするのはどうなのか。
林被告は獄中からの手紙で
「国に殺されたくない」
と書いている。
状況証拠があいまいに”全て”そろってしまった状況で、自分が犯人扱いされることを想像してみる。
恐怖とは、孤独とは、絶望とは、そういう状況にあることだと思う。
先日、一時停止が義務づけられている道路で、私は白バイに捕まった。
私は一時停止したし、一緒に乗っていた友人も一時停止した、と言ってくれた。
しかし、一時停止とは、3秒以上ブレーキを踏み、右左の確認をするべきなのだ、と白バイは言う。
私は、一時停止が何秒以上か知らなかったが、ブレーキを踏み、右後ろに白バイがいることも確認してアクセルを踏んだのだ。
そう主張したが、白バイは強引に、ものすごく強引に切符を切った。私は暴れた。公務執行妨害で捕まるんじゃないか、と友人が心配するほど、ごねた。
そして私がごねている横を、私がまさに捕まったその場所で、一時停止をしないでスースー走り去る車が続出している。
「ちょっと! あの車はどうなの! 私はあの車よりも完全に止まっていたよね!」
と騒いでも、
「今は、あんたが問題なんだ。人のことよりも、自分のことを反省しろ」
と言われた。
「なんで、こんな横暴なんだ!」
と騒ぐと、
「俺は、あとで訴訟を起こされるような取り締まりはしない」
と言う。
訴訟を起こしたって、権力の方が圧倒的に強い。さらに、カメラもなにもないところでの取り締まり。そりゃ白バイの言い分しか、通らないだろうよ、の思いになる。
何を言っても無駄。何を言っても小さな声は届かない。というか大声を出しても暴れても、無駄吠え。
白バイに捕まって7000円を払う私と、死刑宣告をされ、国から見放された被告を比べるわけもないが、あまりにもあまりにも乱暴な「死刑確定」に思われる。怖い、と思う。私は死刑宣告をする「裁判長」や「世論」よりも、「被告」に感情移入する。声が届けられない恐怖は、どんなに恐ろしく、孤独であろうか。
林真須美の犯した保険金詐欺。彼女の欲深さ。明確にわかっているその「事実」以上に、裁かれることなどあってはいけない。
今回の判断を下した 那須弘平裁判長の名前は忘れない。最高裁の裁判長の名前なんて今まで判別できなかったけど、忘れない。今度の選挙では、辞めていただきたい。