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01/07: あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

2011年は「アンアンのセックスできれいになれた?」を出版できました。
久しぶりの単行本でしたが、私は今まで書いた本で、書きながら、一番楽しかった。
過去を知ることは、今の私を知ること。そして未来を考えること。
そんなことを感じながら、書けました。

今年も色んな仕事をしていきたい。
よい一年にしていきたい。

今年もよろしくお願いします。

北原みのり

06/09: 被災地でのボランティアのこと

先週末、被災地のボランティアセンターに行った。特に事前に申し込みは必要ない。朝と午後、決められた時間決められた場所に行き、そこで名前を登録するだけ。事前に必要なのは東京でボランティア保険に入ることだが、現地でもできる。誰もが気軽に行け働ける、よくできたシステムだと思う。

週末だったので受付の30分前からすでに多くの人が受け付けに列を作っていた。聞いてはいたが年配の男性が目立った。ボランティアセンターのスタッフは皆若く、てきぱきと声をあげながら慣れた調子で働いている。
受付で登録を済ますと、今度は名前の書かれたピンクの付箋をもらい、それを仕事を振り分ける人の所に持っていく。ちなみに男性は黄色い付箋。仕事を振り分ける人は、ファイルされている仕事内容をみながら、黄色やピンクの付箋をファイルに貼り付けていく。力仕事は黄色、そうでもない仕事はピンクと分けているようだった。

私はピンク5枚黄1枚のグループに回された。仕事は「壁の拭き掃除」と知らされた。泥かきやヘドロ掬いなどやるべきことがたくさんあると聞いていたので、壁の拭き掃除という仕事は意外だった。
聞けば作業内容はセンターが決めるのではなく、「こういう作業をしてほしい」という依頼が各家から送られて来るのだそうだ。その要望を電話などで事前に聞き取り調査をしてから、ボランティアに来た人をマッチングして派遣するという方法。
さていよいよ出発。出発前に一人リーダーを決めてくれ、とセンターの人に言われた。フェミとしては少しだけ緊張感が走った。案の定たった一人の男性にリーダーをお願いします、という雰囲気になったからだ。違うグループでは「力仕事の現場なので、リーダーは男性がいいかと思います。女性でもできますけど」と言っている女性スタッフがいたので、このボランティアセンターではリーダーは男性、という暗黙の了解ができているようだった。
結局、一緒に行った友人がリーダーになったのだが、それは、男性が携帯を持っていなくてセンターとのやりとりに不都合が生じるから、という理由。
ちょっとしたことだけれども、仕事が当たり前のようにジェンダー化されているのは、やっぱりね、というか、新鮮ね、というか、日本らしい、というべきか。もちろん口に出して抗議することはなく、はいはい、おばさんは掃除得意よぉ、リーダーなんてできないわぁ、と迎えに来たバスに乗り込みはするのだけれど。

バスで連れていかれたのは海から2キロほど離れた住宅街だった。区画整備された新興住宅地で、新しい家が目立つ。震災直後はがれきの山だった道も今はゴミ一つなく、穏やかな日曜の住宅地そのものだ。ボランティア作業を希望した家は、小さな庭のある、窓の大きな、感じのいいお家だった。ガレージの天井が少しひしゃげてはいるが、外側からは震災を想像することはできない。が、ひとたび中に入ると、2メートル近く浸水したという一階は、がらんどうだった。海水が断熱材まで染みこんだ壁は触るとズブと指が入り、天井の方も泥がはねていた。畳はすでにはがされていて、大きな家具は運び出された後だった。もちろん住める状態ではないのだが、水道などのライフラインは通っている。

その家で私たちを待っていたのは40代半ばくらいの女性だった。夫と中学生の息子二人は全員無事だったそうだ。彼女は女性ボランティアの顔は一切見ず、男性の顔を見ながら今日の作業の説明をした。壁と床の拭き掃除と台所掃除。何度もボランティア派遣を受けているとかで、慣れた様子だった。
正直に言うと壁や床を拭くのは、明らかに無駄だと感じた。すでに壁紙のほとんどは海水でふやけ破れていたし、床も同様で、海水でワックスが浮き出ていた。たまたまグループの中に日本語を話さない外国人がいたのだけど、彼女は「この床、剥がすよね?」と聞いてきた。誰が見てもそう感じたのではないか。
もちろん頼まれたことは何でもやろうと思っていたし、仕事を選ぶ立場ではないとはわかってる。何よりも私はものすごく張り切っていたのだ。だからこそ役に立ちたかった。だからこそ、念のために聞いてみた。
「壁紙は、このままお使いになるんですか?」と。女性は初めて私の顔をみて、こういった。
「主人に聞かないとわかりません」
わからないけど汚いからとりあえずキレイにしておきたいという思いなのだろう。複雑な気持ちになった。これは大人5人で関わる仕事なのだろうか。本当に必要な人に必要なボランティアはいっているんだろうか。窓からは、隣の家の老夫婦が窓を二人だけでふいているのが見える。もしかしたら“この程度”の仕事であれば、午後に帰ってくるという息子たちとやってもいい仕事なんじゃないか。これって災害ボランティアというよりは「家のことは妻・母任せ」の家のお手伝いをしているだけなんじゃないか。
とはいえそんなことをぶつくさ考えているのは私だけのようで、リーダーとなった女友だちは、すごく張り切っていた。ふだん建築現場で働いてる彼女は、「奥様のご要望通り動きましょう」と業者のようなことを言い出し、彼女のリーダーシップによって他のメンバーも「了解っ!」と仕事人の気分で盛り上がり、掃除を始めたのである。もちろん私も仕事はした。でも、「本当にこれでいいのかな。いいのかな」という思いは最後まで抜けなかった。

帰りに石巻市に寄った。あまりに広大ながれき。そして腐った魚の山。数百羽の海鳥が腐った魚をくわえ空を飛び回っていた。その臭いは離れても離れても離れても消えなかった。その中で暮らしている人もたくさんいる。
この魚の山をどんどん片付けたい。台所仕事で体力が余っていたせいか、すぐにでも働きたい気持ちになった。50人くらいのピンクの付箋の女たちがくれば1時間でじゃじゃじゃっ! と片付けられるんじゃないか。水を流して道をたわしでこすり、せめて臭いをもう少し軽減するような仕事ができるんじゃないか。もちろん今だって、311直後に比べればずっとマシなはずだ。それでも突然やってきた者の目から見たには、深い悲惨にみえる。いったいいつまでこの光景を保存しておくんだろう。なぜ、片付けがこんなにも進んでいないんだろう。例え、恐ろしいものを見ることになったとしても、怪我をしたとしても、とにかく瓦礫を片付けたい。縦に倒れたままの車を、せめて元に戻したい。街をきれいにしていきたい。それができないのが、もどかしいのだ。どうかどうか役立つ仕事をさせてくれ。掃除させてくれという思いに溢れた。

ボランティアをやりたいと思った時に、すぐにボランティアにかけつけられ、仕事ができるシステムはよくできていると思う。一方で、性別での乱暴な割り振りや、仕事内容があまりに精査されていないシステムが、つくづくお役所的だったのは事実だ。縦の命令系統があり、ただ人間は自動的に派遣され、意味を問うことなく機械のように手を動かしただけ。
「怪我をしたら誰が責任を取るんだ」「何かあったらどうするんだ!」という声が聞こえてくる。でも、自分で責任を取るから仕事をさせてくれ、と思う。そういうのがボランティアだと私は思う。私が私の責任において仕事をしたい。というか、そのための「ボランティア保険」ではないのだろうか。
今度来るときは・・・と床を拭きながら思った。家が崩れたお年寄りや、家族のいない一人暮らしの老人の被災後を支援するという具体的な活動をしている団体の所に行こう。私に“むいている”ボランティアの形を探っていこう。

一泊二日の旅で、せめてお金を落とそうと、地元のお店に何軒か寄った。津波のお話を聞いた。どこまで水が来たか、当日何をしていたか、今はどうしているのか。でも、誰も、絶対に、放射能の話はしなかった。私もしなかったし、その場にいた誰もが、そういう話はしないように注意深く避けているようにすら感じた。
地元の知人は「放射能の話はできない」と言っていた。今ですら悲惨なのに、これ以上考えるべきことが増えるなんて耐え難いからだ、と。だけど、みんなわかっていないわけじゃない。どこか感情に蓋をしながら生きている。感情にきちんとぴったり蓋をして、絶対に開かないように用心しながら生きている。こんな時に本当のことなんて話せない、こんな時に本音は話せないという抑圧が働くのは、同調圧力だけではない。自分の心を守るために必要なのかもしれない。

途方にくれながら、言葉を失ったまま、東京まで車を走らせた。
被災地の人が「放射能のことを語れない」過酷。
夫や息子に迷惑をかけないで主婦としての仕事をしよう、早く日常を取り戻そうと「台所を磨いて」と頼むその切実。
とにかく店を開けようと、客のいない店で暗い顔で寿司を握る男たち。
そして三ヶ月前と同じがれきが山積みになったままの世界。
簡単な掃除をして帰る私。
永遠にも感じられる、復興への道のり。

04/14: 抱えるべき不安

 冷却水が減っているっ! という報道が流れたとき、一緒にテレビを見ていた母は言った。「海水入れればいいのよ」。あははっ! 私たちは笑った。そんなアホな。そんな簡単なシステムじゃないでしょ。だって、原発よ。だから海水こそがアンサーだ! と知った時、私たちはのけぞった。「そんな・・・ばかな・・・」 母も驚いていた。そのうち、海水を入れようにも方法が定まらないっ! と報道が流れたとき、また母は言った。「ヘリコプターで上から入れればいいのよ」。あははっ! と私たちは笑った。まさか! きっと凄い方法があるはずよ。だって、原発よ。だから、赤いバケツを持ったヘリコプターがヨロヨロ飛んできた時は、本当にのけぞった。
 
 もしかしたら、今、やっていることって、高度な科学技術なんかではなく、破裂しそうな圧力容器を前に逃げようか、それとも水かけようか、どうしようかとあたふたしている状況と何ら変わりがないんではないか。天ぷら油がやばいことになっている、やべやべやべ、って青ざめてる状況とあまり変わりがないんではないか。つまりは、起きている現象にとりあえず対処するしか、ない。と、気がつき始めた時、私は原発のことを本気で勉強しようと思った。思ったより簡単に理解できそうな気がした。
 案の定、原発のシステムは全く簡単なものだった。物理が苦手、という意識が原発を理解しようとする気力を萎えさせてきたのだけど、原子力格納容庫をつくった方たちの話等をメモりながら、私は311以前と以後、まるで人が変わったかのように原発について詳しくなった。世界の発電事情なども、勉強したよ。人に教えられるほど身についている、とは言えないかもしれないけど、でも、放射線とか原発とかが、私の頭の中では立体感を伴って見えるようになってきた。これは、私の40年の人生の中でもかなりスピードのある進化論です。

 で、やっぱり。原発や放射線について知れば知るほど、「不安だ」という気持ちは高まるものである。「風評被害をやめろ」という言葉の薄っぺらさが、ますます不気味に感じるものである。チェルノブイリ級の大事故だという報道と「風評被害をやめよう」という報道が同じ重さで流れてくる。気が狂いそうになる。誰かが「風評被害ではなく東電被害なのに」と言っていた。根拠のある不安まで否定するメディアの圧力は、誰を何から救おうとしているのだろう。

 最近、友だち数人から「原発について彼氏(夫・家族・友人と置き換えてもOK)とケンカになった」と言う声をたくさん聞くようになった。原発について不安だと訴えると、一年間に浴びていい量を言ってきたり、ヨーロッパ往復するくらいの放射線だからと笑ったり、CTスキャン1回分にも満たないんだぜと鼻の穴を膨らませたり、日本経済をどうするんだと議論してきたり、水道水ガブガブ飲み始めたり、じゃぁ病院でレントゲン撮ったことないのか!? と怒り出したり、日本の技術は凄いんだと自慢しはじめたり、進化に犠牲はつきものだとおそろしいこと言い始めたり、歩いていて隕石にあたって死ぬような確率のことが起きたんだと意味不明なことを話しはじめたりする・・・人が多いんだそうな。彼氏が原発より不気味・・・と笑った女友だちもいた。

 原発事故に不安に感じる=シーベルトの簡単な計算もできない無知な人間がパニックになり風評被害を広めている、と捉える人がいることに驚く。実際私の友だちに「私は女だから、感情的に考えてしまうのかもしれないけど・・・」と言ってた人がいたんだけど、私からしてみれば、放射脳数値を情感的に捉えているのはあんたの彼氏の方だよ、である。その彼氏は、「自然界にも放射線はあるんだぜ」と言い「影響あるレベルじゃないよ」と水道水を飲むんだそうな。その一方で彼は彼女のように、放射線量や風向きを毎日チェックしているわけではない。ただただヨーロッパに行ったつもり、ラドン温泉に入ったつもり、宇宙旅行に出かけたつもり、と貯めなくていい放射能のつもり貯金でもしているみたい。おまえはポリアンヌか(ポリアンヌのことはよく知らないけど、どんな時でも、物事の良い面を見つけ、つもり貯金をいっぱいしてそうなイメージです)、な優しい人が一番怖い気がしてくる今日この頃です。

 というわけで、4月27日(水曜日)午後3時〜、今の原発事故について、もっと知りたい、もっと言葉を共有したい、不安だという気持ちを否定されてばかりいるが私は気が狂ってしまっているのか、風評被害と言われてもどうしても野菜を食べられない・・・という私は非国民なのか、と自分を責めてしまうような気持ちになっている人たちに向けてトークをします。女性限定でラブピースクラブで。仕事中の方も多いと思いますが、15時から1時間程度。今一番不安を感じていられるのは、子育て中のママかもしれない。もちろん、子連れOKです。ラブピースクラブで行おうと思っていますが、予約申し込み次第では会場を借りるつもりです。
講師は、岩波書店「世界」編集部の中本直子さん。原発の専門家ではありませんが、原発の専門家にたくさん取材してきた方。今起きていること、そして「抱えるべき不安」について話していただきます。

 要予約でお願いします。こちらまで。件名に「原発事故を話す会」と必ずお書き下さい(メールが大変多いので紛れてしまわないため)。お名前と連絡先をお書き添えの上お申し込み下さい。女性限定です。

03/25: CNIC News 2011年3月22日  

ルポライターの沢部仁美さんが、テープ起こししてくださいました。
原子力資料情報室の会見、元放射線医学総合研究所主任研究官・医学博士・現高木学校の崎山比早子さんによる、放射脳についての説明です。
Ustream は以下からご覧になれます。
http://www.ustream.tv/recorded/13491251

CNIC News 2011年3月22日   

司会:福島原発の海水からも放射能が検出されております。政府は出荷停止の措置をとりながら、食べても大きな被害はないというような解説をしておりまして、原子力資料情報室にもたくさんの質問が寄せられています。今日も崎山比早子さん(元放射線医学総合研究所主任研究官 医学博士 現高木学校)と今井理恵さん(神奈川県勤労者医療生活共同組合 港町診療所 産婦人科医師)にお話をうかがいます。

今井:この間、ずっと崎山さんに放射能の問題について解説をしていただいて、それをご覧になった方たちからさまざまなご質問が寄せられています。また昨日、今日くらいから、野菜や水道水といった口に入るものに放射能物質が検出されているということが大きく取り上げられていて、やはりそれについていろいろ質問が来ております。とくにほうれん草ということばがたくさん出て来ています。今日の新聞の紙面でもほうれん草の放射能を何ベクレルと検査する検査所が間違ってしまったという報道がありました。どういうことかと見ると、洗ってから測るべきところを洗わないで測ったという報道があるんですが、わたしたち素人は「えっ、洗わないで測るべきじゃあないんですか?」と思うんですが、その点はいかがでしょうか?

崎山:昨日、ほうれん草の汚染があると発表されたんですけれども、それを日本分析センターが請け負っているんですけれども、ふつう化学物質、農薬なんかの食品汚染の場合は、洗わないでどのくらい汚染されているのかということを測るんですね。ところが、野菜の放射性物質ですね、それを測る場合には、洗ってから測るということが決められているらしいんです。昨日発表されたのは洗う前の測定値なので、洗った後、測定した結果がどうなるかが、明日の新聞ぐらいには出るんじゃないかと思うんですね。ですから、洗いの結果が、洗うことでどれくらい放射性物質が洗い落とされるかということがはっきりわかるんじゃないかと思います。両方の測定値を比較することでそういうことがわかるのではないかと思います。ですからこれから野菜類などが何ベクレルというふうに発表された場合は、野菜が洗われた後の測定値だということを頭に入れておいたほうがいいと思います。

今井:家で洗えばもっと下るのでという話ではないということですね。

崎山:さらに洗って効果があるかどうかは別問題じゃないかと思います。

今井:ただ一般の家庭で買ってきて洗った状態で測られているということですね。

崎山:そうですね。

今井:ありがとうございました。それでほうれん草とか水道水とかの測定にはベクレルという単位が使われています。わたしたちの人体への危険の度合を測るときはシーベルトという値が使われていて、この関係をもう一回説明していただきたいという質問もいくつか来ているんですが。

崎山:はい。これはベクレルからシーベルトへ換算する方法なんですけれども、食品の汚染濃度はベクレル/kgで出てきます。この濃度と摂取量(kg)をかけたものが、体内への取り込み量ということになるわけです。この体内取り込み量に0.01をかけて、それに線質係数というものをかけると、被ばく線量がマイクロシーベルトの単位で出てきます。この線質係数というのは、それぞれの放射性各種によって異なりまして、その放射性各種の半減期、だんだん壊れていって半分に減っていく時間ですね、そういうものとか体の中に取り込まれたときにどういう経路で排泄されるかとか、どのくらい体の中に留まるかといった、いろいろなファクターを考慮して決めたものです。ヨウ素131は1.4、セシウム137も1.4、セシウム134が2.0。こういう線質係数というものが決められています。食品の汚染濃度が発表されましたら、自分でどのくらい摂ったか摂取量もわかりますから、これをかけて被ばく線量を計算することができるということです。

今井:ありがとうございました。後はですね、大気中の放射性物質の問題についても心配だということで質問が寄せられています。ご親族が福島県内に住んでいるけれども、詳しいデータがなかなかわからなくて、遠くに住んでいる親族の方が心配してらっしゃるといった問い合わせが来ているんですが。まず福島県内のことはどうしたらわかるでしょうか。

崎山:今、色んな環境放射線がアメダスとか色んなホームページに出ているんですけれども、福島県や宮城県が出ていないので非常に心配している方がいらっしゃるんですが、福島県災害対策本部というところがありまして、そこのホームページに雨とか水道水とか環境の放射性物質の量が公表されていますので、福島についてはそこをご覧になったほうがいいと思います。

今井:宮城県はまだ詳しいことがわかっていないんですよね。

崎山:そうなんです、宮城県はブランクになっていて出ていません。(宮城県の方は)北側にいて、ちょっと南風が吹いたりすると心配なんじゃないかと思うんですが、宮城県のデータはどういう訳か抜けていますね。
それからヨウ素剤について、ヨウ素剤は処方箋がないと買えないと言ったんですけれども、ネットなんかで注文されている方がいらっしゃるらしいんです。今はもう買えなくなっていますけれども、以前は買えたと。その方は自分でヨウ素剤をたくさん持ってらしたので、息子さんに飲ませてしまったと。15日くらいから連続して飲ませたんですが、過剰摂取は甲状腺障害を起こすと言われているので心配しています、というご質問なんです。これはヨウ素剤検討会でも問題になったんですが、過剰摂取というのは1週間位連続して毎日ヨウ素剤を飲んでしまうと、甲状腺機能の低下症、機能障害が起こったりするんですね。そういう場合はやめればいいんです。やめれば元に戻ります。何の心配もありませんので、気がついたときにやめればいい。それだけです。

今井:むしろ正しい飲み方がきちっと伝わっていればそれも起きなかったという……

崎山:そうですね。いつ放射線ヨウ素が飛んでくるかとかがわかればいいんですけど、それがなかなかわからないということで。

今井:それでヨウ素剤についてなんですけれども、今日の報道なんですけれども、アメリカの国務省は日本に住んでいるアメリカ政府職員、軍人とその家族に対して、東北地方と関東地方のすべての府と県、それから長野県、新潟県、静岡県、愛知県にはすべて配布する準備を始めたと。すぐ飲むわけではないけれども、配っておくんですと。まず愛知県の全員に配ると報道されているんですが、これはいかがでしょうか? そこまでの必要性はもともとないというか、たとえば愛知県に住んでいる人がヨウ素剤が必要な状況はないんじゃないかという……

崎山:それはちょっとわかりませんね。どういう形になっていくのか。これからものすごい(放射能の)放出が続いて、風向きがそっちに行けばということもあると思うんですよ。それはわからないです。全然わからないと思いますけど、たとえばこの前も言いましたように、フランスとかは原発大国ですよね。それからドイツなんかでも5キロ以内は家庭配布してますから、正常時でもそこに住んでいらっしゃる方は持っているわけです。持ってても良いわけですよ。自分で持っていれば、情報を聞いて、危ないなと思ったら自分で飲むことができる、ということで、持っていることに対して害はないだろうと思いますね。それは当然だと思いますね。

今井:つづけて、水道水の放射性ヨウ素の基準値というのが、昨日300ベクレルと発表がありましたが、これが昨日の厚生労働省の通達で、対象を限定してですね、乳児に与える場合には100ベクレルを基準値とするというのが出たんですけれども、通達によると牛乳と横並びにしたと言うんです。牛乳は一般は300ですけれども、乳児は100なのでそれにそろえますというんですが、これはいかがでしょうか?

崎山:いいじゃないですか。それは気をつけるにこしたことはないと思いますね。ただ、今、水道水のことが出て、水道水が15日でしたっけ、18日でしたっけ、180ベクレルになったんですね。それですごく心配されている方がいらっしゃるんですが、【録画一時中断】母乳を通じて(放射能が)母体から子どもに行くということはありうるので。でも今のところ、これまでの汚染状況ではそれほど影響があるレベルではないということではある。

今井:福島県内で900ベクレル/kgを越えるところが、正式な浄水である簡易水道から見つかったというんですね。そこは給水を始めているということです。今、寄せられたご質問なんですが、これはこの場でどうかと思うんですが、アメリカでは放射性物質がアメリカまで来ると騒動になっているようですが、本当にアメリカまで行くんでしょうか?

崎山:ああ、もう行ってますよ。サンフランシスコで検出されていますから。チェルノブイリから8000キロ離れた日本でも、5月3日に来ましたよね。チェルノブイリが4月26日で、日本に来たのが5月3日でしたね。京大の今岡さんとか小出さんが検出していました。サンフランシスコではごく微量だとは言ってますけれども、もう行ったんじゃないですか。

今井:まあ、それをどうとらえるかというのは、難しいと思うんですが、事実としては行っているということですね。子どもを砂場で遊ばせることについてはどうでしょうか?

崎山:ああ砂場で、ですね。子どもさんを持ってらっしゃる方で、やっぱり子どもさんを外で遊ばせたい。子どもを公園なんかに連れていくと、すぐ砂場へ行って、砂をほじくり返して遊びますよね。それで手に砂がついて、それを口に入れてという内部被曝と、砂が汚れていた場合に外部被曝もあるからという心配なんですけど。心配するのはもちろんわかる。心配するなとも言えないし、大丈夫ですよと、どういう根拠で言うかもわからないですよね。こういう相談を受けても本当にはっきりした答えというのをなかなか言えないと思いますね。どっちを取るかは、それはやっぱり個人個人の判断で、どういうことにウェイトを置くかということで、個人の判断で分かれてくると思うんですよね。そういう判断をしなければならない状況に追い込まれてしまっているわたしたちの状況があると思います。大丈夫です、大丈夫ですと言うのは簡単ですけど、「本当に大丈夫なんですか?」と言われたときにですね、昨日も言いましたように、毎日、テレビのコメンテーターが「すぐに影響が出る量ではありません。大丈夫です」とおっしゃっている。それから今朝のNHKだったと思うんですけれども、JCOの事故で亡くなった大内さんの主治医だった前川先生がおっしゃってたんですよね。30キロ圏内でもそんなに心配することはないと。そうかな、それってどういうことなんでしょう? 
これ(「線量当りの発がんリスク」)は毎回出しているんですけれども、これは国際放射線防護委員会がこういうリスクがありますから、防護体制を取りなさいと勧告しているわけですよね。これは国際的な同意を得たリスクモデルなわけです。各国の委員としては日本がいちばん多いと思うんですが、日本も委員を出していて、1ミリシーベルトを1万人が浴びたら1人が癌になる、10ミリシーベルトを浴びたら10人が癌になる、だからそういうふうにならないように防護体制を敷きなさいということだと思うんですよ。ところが「100ミリシーベルト以下ですから、大丈夫です、心配ありません」とおっしゃる根拠というのがまったくわからないんですが、たとえばこういうモデルを作った疫学的な調査があります。原子力発電所とかですね、放射線を取り扱う病院の放射線技師、そういう方たちはいつも線量計を体につけて、毎日の線量を記録しておきます。それが一日に1マイクロシーベルトのこともあるでしょうし、10マイクロシーベルトのこともある。原子力発電所ですと、1日に1ミリシーベルト以上を浴びない、1年間で50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルト以上を浴びない、浴びさせないという規定ができているわけです。ですからいっぺんに10ミリシーベルトを浴びるわけじゃなくて、少しずつ浴びていくわけですよね。少しずつだけれど、それは全部積算して、100なら100というところにリミット(限度)をつけて、それ以上浴びさせないというふうになっているわけです。ということは、20マイクロシーベルトでも50マイクロシーベルトでも、それは全部足されているわけですよ。それで何年間か足して、5年なら5年で100ミリシーベルトに行かないということになっている。そういうときに、20マイクロシーベルトにリスクがゼロだったら足す必要はないわけですね。そうすると原子力発電所などで働いている防護体制というのは、いったいどういう根拠でやっているのかということになると思うんですよね。そういうことをやっている委員が、「100ミリシーベルト以下だったら全然心配はない、心配する必要はない」と。「100ミリシーベルト浴びて100人が癌になることは大したことではないんですよ」と、言っているようなもんだと思うんです。そういうことは今まで科学的にこういうモデルができた、国際的に放射線の研究者が長い年月をかけて作られてきたモデルである以上、これを反故にすることはできないんじゃないか、反故にするんなら、これを作り上げてきたデータ以上のデータを出して、これは間違えているんだということを証明してからにしてもらいたいとわたしは思います。

今井:とても低い線量ならリスクがゼロというような表現はあくまでも間違いということなんですよね。

崎山:そうです。足してるんですから、現に足してるんですから。

今井:ありがとうございました。先程の質問で、さまざまな地方に住んでいる方たちからの問い合わせにもう一度触れさせていただきたいんですが、福井県に住んでいる親族がいらして、東京は大丈夫かと心配しているというんですが。これはやはりホームページ上で?

崎山:そうですね。それで一日の放射線の量を見て一喜一憂するんではなくて、正常値がどのくらいであって、昔の放射線量を見て、今どうなのか、その後どうなっていくか経過を見た方がいいんじゃないかと思います。

今井:最高値いくらということではなくて、ということですね。

崎山:ええ、そうですね。               

(文字起こし・沢部仁美)


03/21: 原発のことで その1



http://www.ustream.tv/recorded/13419905

原子力資料情報室から発信されていることをずっと追ってます。ただ、やっぱ、ちと難しいし、私、集中力が足りないので、最後まで見続けるうちに、ぽろぽろ情報が抜けてしまう。今回の事故が起きるまで原発のこと、あまりに知らないことばかりなので、自分の肉にするためにテープおこししてみました。どこかでテキストになってるとは思いますが、少し編集したものを以下記しました。
「技術者として語ることは義務だ」とテレビでおっしゃっていた、後藤政志さん(東芝・元原子炉格納容器設計者・博士)の現状説明です。お話の順序は変えてません。言葉に詰まったり、重複されている箇所は割愛したり、見出しなどをつけてみたりなど簡単な編集はしていますが、私の意図を込めた編集は一切していません。
もちろん、「簡単」な話ではありません。ただ「安全だ」「最悪のことなんておこるわけがない」と信じるより、知識を得る、という行為は、ずっと自分に誠実でいられるように思います。
できれば、最後の20行はぜひ読んでほしい。後藤さんの必死な提言です。

<現状の説明>
1,2,3号基は炉心の冷却がまずくなって、今でも安定ではない状態です。
使用済みの燃料プールは、3,4号で冷却がうまくいっていないことから、冷却をしなくてはいけない状態です。

<原発での発電方法> 
炉心もそうですが、使用済み燃料というのも、被覆管(ひふかん・ジルコニウムの官)に入った状況で束ねられて、燃料集合体ができています。それを、原子炉の中に装荷しています。その状態では、制御棒が(燃料集合体の間に)入った状態です。
その制御棒を引き抜くと、核反応がはじまって熱が出る。その熱を原子炉の中で水を循環させ、冷やしている。冷やすというか、熱を伝達させ、出た熱よる蒸気によってタービンを回し発電させている。

<なぜ冷却しなければいけないのか>
ところが、地震によってプラントにつなぎ込まれている電源が止まった。
ただし、原子炉の設計は、非常時には制御棒がダッと入るようになっている。
全号基、運転していたものは制御棒が入ったんです。すぐに。だから、燃料は核反応を停止しています。そこまではうまくいった。
ただ、さかんに、「止まって安全」という表現がありましたが、それは原子力においては成立しません。
普通の機械であれば、止まったのなら大丈夫です。例えば、火力発電所が「止まりました」と言えば、それ以上議論する余地はないんですね。
原子力はそれから、なんです。
それから(反応が止まった後)、燃料から出てくる熱をずーっと冷やし続けなければ、被覆管が溶けてしまうんです。被覆管の表面の金属は1000数百度で溶けるというか、(被覆管の表面が)パリパリと割れるようになるんです。そうすると燃料が剥き出しになります。この燃料は2800度で溶けます。冷却しないと、どんどんどんどん壊れてきて、熔けて落ちる。

<いつまで、冷却し続けなければいけないのか>
では、いつまで冷やせばいいのか。
フルに運転してとまった状態で、その燃料が破損しないようにまで、冷却するには1年かかります。
スリーマイル島は、事故の後、2年間冷却続けてるんです。ずっと。
条件によって、(いつまでかは)わかりません。
でも、これは、3日、4日、10日、20日、というレベルじゃない。そんなレベルじゃない。長期にわたって冷却しなければまずい。それが原子炉の中、です。
原子炉の中が大丈夫です、安定しています、とは、電力があり、ポンプがあり、水が循環させて、冷却が成立されています、という状態を言います。冷却がきちんとできず、燃料が水面から露出している状態は、大変なことです。

<3号基、4号基はなぜ放水しなくてはいけないの?>
使用済み燃料のプールについて話します。
プールの中に、使用済み燃料棒がいっぱい入ってます。ものすごい数ですね。少ないものでも300、多いのでは1300というのがありますから、平均して7,800。それだけの使用済み燃料がプールの中で冷やされていた。
我々はずっと、各原子炉の状況を気にしてました。(原子炉の)冷却は大丈夫か、とみている間に、どうも、使用済み燃料の水の温度があがってきているようだ、とわかった。
使用済み燃料も冷却装置を持っているんですが、それが壊れて、止まって、冷却ができなくなっている。しかも水は、地震で漏れた可能性がありますし、または、水素爆発をおこした時に、プールの下の構造を損傷した可能性もないとは言えない。
10メーター感覚くらいのプールがあったとするとします。壁のコンクリートの内側に薄い鉄板が入っているんですが、地震や爆発でちょっとでも傷つけばそこから、水が漏れてくる。そうすると微量の漏洩をずーっと長期にわたって続けていて、それで水が減った可能性もあるんです。
その状態ですと、水を入れる場合は、少なくとも漏れてくる量より、多く入れていかなくてはいけない。

<放水はうまくいっているの?>
今回、ヘリコプターでやった映像からみますと、被爆しますから近くにいけないわけですね。遠くから、散水しますから、このプールにどれだけ入ったかは疑問が残ります。あまり有効ではなかったのではないかと私は思います。ポンプ車の方が少し有効のように見えました。しかしながら、想像してみてください。離れた所にバケツをおいて、ホースでまく。いったい何割の水が入るでしょう。発表によると有効であったという。無駄ではなかったし、水は、入っているはずです。ただ、大変な効率の悪いやり方です。仕方ないです。

<危機は脱したのか?>
今は、とりあえず危機を脱した、という表現になっていますね。
それは水が入ったから、燃料が露出して溶ける、損傷する状態はなくした、ということです。ではこの状態は、ずっと持続できるか。もし穴があいてれば水位は、また落ちます。そうすると、また水をいれなくてはいけない。繰り返しになるわけです。そうではなくても、冷やさなくてはいけない、循環させなくてはいけない、温度があがりすぎると水を入れていかなければいけない。
つまり、元に戻りますと、使用済みであっても、ある一定の熱を出し続ける。それなりに長期にわたって冷やしていないとやはり問題が生ずる。
しかも使用済み燃料は、この水素爆発で建物の上部を損壊していますので、むき出しになっている状態です。1、2号基はともかく、3号はプルトニウムが入ったMOX燃料が入っている。非常に厳しい条件下にある。
事故のことを忘れて、常識的に考えますと、燃料プールがあって、そこに使用済み燃料を保管し、その状態で適確にコントロールされていればいいんです。が、建物が壊れ、屋外に剥き出しになっていて、冷却機能がとまってます。そこで水はちょっと足りないからこちら側から放水する・・・この状態はものすごく特別な状態です。
これはご理解いただけると思います。
そういう状態で、ギリギリで維持している。
これがたぶん、これからずーっと続くわけです。

<何号基が一番危険なのか?>
他の号基もそうなんです。
結局は、すべての号基、使用済み燃料が入っているものは、同じく、そういうリスク、危険がある。もし、冷却器が死んでいる場合は。

<電気が通ったら、安心なのでは?>
ということで。現在、電源のつなぎこみをはじめまして、他から持ってきた電気で各プラントに電源を供給しようとしています。そうすると、最初の原因となった、全電源喪失に関しては、ある一定の範囲で復活できるだろう、という希望があります。それが今、一部復旧をはじめている。そういう状況にあります。
しかし、冷却するに必要なのは電源、ポンプ、水です。
その三つがそろっていないと意味がない。
現状は。電気は多少供給ができる。非常にいいことです。
ではポンプは動くのか。
常設のポンプは動くのか、非常用はうごくのか。動いたとして水の供給はできるのかどうか。それをこれからチェックしていことだと思います。
いずれにしても、炉心、使用済み燃料の冷却をずっと続けていくのが今回の必要なことです。
同時に繰り返し申し上げますが。123とも、原子炉の中がどの程度損傷をうけているか。つまり、燃料が空気中にでて、原子炉の中で冷却ができない状態で、どのくらい損傷しているか。それが一番心配なところです。

<最悪のシナリオとは何か>
最悪のシナリオはよく聞かれます。
炉心が熔けているわけです。
そこから言えるとは、冷却できないとメルトダウンします。
熔けた溶融物が原子炉の底に溜まる。そこで止まるかどうか。冷却ができないと、圧力容器の底を熔かしていきますね。そういう状況になると極めて危機的な状況です。
圧力容器の底が抜けると、底に溶融物が落ちる。かなり高温・高圧になり、原子炉格納容器がかなりの規模で破損する。大規模な爆発をともなうような破壊も、あり得ます。

<最悪のシナリオ その1:水素爆発>
どういうことかというと、一つは水素です。
3号基でおこったような水素爆発が格納容器内で起こることが一番怖い。
ただし格納容器内は、ある条件が伴わないと、そう簡単には爆発するはずがない。
条件とは、酸素です。格納容器の蒸気をを出す時、その時の圧力条件によりますが、酸素が入る条件が整うと、水素爆発の危険生が生じます。

<最悪のシナリオ その2:水蒸気爆発>
もし炉心が熔け、それが溶融したものが水と接触すると、水蒸気爆発の危険性が生じます。
どこで爆発するかによって現象は変わりますが、爆発的な現象がおきる。それが驚異なんです。規模にもよりますが、それが一番恐ろしいシナリオです。
何のかんの言って、その爆発が格納容器の中に閉じこもれば、外には大きな被害はもたらさない。
ただし、2号基のように、圧力抑制プールが破れているということは、ここを経由し、徐々に放射性物質が出て行く。(2号基は)炉心が損傷していますから、出てくはずなんです。ある程度出ざるを得ない。
格納容器が破損しているとは、周囲の汚染がひどいわけですから、ちょっとくらいでていても気がつかない。でも、これは出続ける、ことになるかもしれません。
それが現在におけるリスクです。

<最悪のシナリオ その3:再臨界>
また一つ。実は再臨界があります。
臨界というのは、たとえばウラン235なら235を集めた時に、それがある体積になると自動的に反応を始めるわけですね。それが起こりますと、再臨界が起こります。運転をしている状態に戻るようなもの。
ただ、再臨界には、条件がある。
ある条件で、燃料そのものが溶けて落ちて、その間にある程度水が入らないと、核反応は進まない。これは核爆発ではない。急激な反応ではあるけど、爆発の手前です。でも、物理的には驚異です。
ただ、再臨界が起こる確立は大きくないはずだと思っています。

<まとめ>
おこりうる可能性として大きいのは、水素爆発と蒸気爆発。この二点にだんだん絞られていきている。
これがおこらないように冷却が長期にわたっていくことを、祈っている。

※後藤さんのお話は以上。以下は会場とのやりとりです。質問者の音声がよくないので、質問は簡略化してます。



03/21: 原発のことで テキスト化 その2



<会場の質問やりとり>

Q 格納容器も含めて水で満たす、という話があったと思うが?
A 格納機を満タンにするのは10日かかる。続けているのかどうかも今はわかりません。ただ、核納容器を水浸けにするのは、どうしようもないからやる、というのに近い。圧力容器の冷却ができない、だから外側から冷やす、そんな感覚です。

Q 1〜3号基は圧力容器内は海水で満たされているのか。給水は継続しているのか。
A データとしてもらっている範囲でみると、3月18日現在ではだいたい1400mmから2300mmのマイナスですから、燃料棒が1.3メーターあるから、多いところでは3号基では2.7メーター、空気中に出ていることになります。
18日の情報によると、
1号基、引き続き原子炉の海水の注入をしています。
2号基は原子炉内に海水を注入したことから、原子炉水位や原子炉圧力は回復しました、、と言っています。ただ18日に回復した、というデータはないんです。言葉では出ていますが、データと整合していないです。読めないです、わからないです。

Q (海水を)注入し続けないといけない状況なのか
A それは明らかです。何が何でも水を入れる、というそれ以外の選択はないんです。

Q 3、4号基の破損の写真を東電が発表しましたが、ロボットカメラのようなものが設置されているんですか?
A どこに、ということもありますが、それなりの普通のカメラはあるでしょうが。今の状況ではほとんど機能していないと思います。
(3,4号基の損壊写真を見ながら)4号炉は運転していなかった原子炉なのに、それなのにこんなに大きく損傷している。これは燃料プールの燃料が冷却できなくなり、水素が出て、水素爆発を起こしたんじゃないか、ということですね。そうならば、原子炉は関係していないと思います。
今回、慣れてしまったので、もうびっくりしないんですけど、これは普通見たら、私は気絶しちゃいますよ。卒倒しちゃいますよ。怖いことに慣れてしまったんです。
原子炉建屋がこうなっても、格納容器、原子炉圧力容器が損傷しなければ、あとプールが冷却できればいい、そう考えればそうなんですけど、この破壊の様子をみますと、本当にプールが損傷していないのか、心配されます。

Q もし運良く全ての問題が良い方向に向かったとして、安全宣言までにどれほどの時間がかかるのでしょうか。
A 原子炉内をそのまま冷却しますと、運転をバっと止めた場合、一年は冷却を続ける必要がある。スリーマイルは二年間続けました。ですから、これから原子炉を冷却するということは、非常に長期に渡ってやる必要があります。一週間、10日でOK、一ヶ月でOKというレベルではないことは確実です。
(電気事業連合会の資料を拝借し)
100万キロワット級の発電所を、1年運転するために必要な燃料の比較をします。
この規模は、第一福島原発の、2,3,4号基より2,3割大型のプラントだと考えて下さい。
そういうプラントにおいて、一年間に必要な燃料はウランでは21トン。
21トンにエネルギー的に等価なのは、石油で155万トン。30万トンタンカー5隻に相当します。超大型タンカーを五隻分。それがたった、21トンの燃料でいける。だから原子力はすごく効率がいいんです。
ただ、155万トンのエネルギーが燃えることを考えて下さい。155万トンの燃料を冷やすのと同じ量の冷却を、たった21トンの燃料を冷やすのと同様に費やさなければいけないと考えて下さい。
原発は効率がいい、という考えもあるが、これだけの危険もある、という側面がある。メリットがある、というのはデメリットがある。効率がいいのは、必ず反対の側面がある。
一例を言います。航空機は非常に速いが、ぶつかった場合は、きわめて危ない。パイロットがぱっとみて、音速に近い速度で飛んでいるジェット機。非常に便利ですよ。その分、普通の飛行機、プロペラでぺらぺらとぶより、はるかに危険。
技術は必ずそう。
メリットはあります。
デメリットは何ですか。
まさにそれが今起きているんです。
これだけ便利だ、ということはこれだけ危ない、というのと全く同じことなんです。


Q 最悪のシナリオはどういうものですか。影響はどういうものですか?
A あんまり、こういう現象を、無前提にお話をすると誤解を生じるのでいけないと思っています。少なくとも、実際に、起こる、最悪のシナリオ・・・水素爆発、何度もおきてますね、実際。それはわかりやすいといえば、わかりやすい。水素があり、酸素があれば爆発する。水素の割合が数版線と以上あれば、水素がある%以上あると爆発する。最後は、一番厳しいのは、ばくごう、というのですが、爆発の規模が大きいと衝撃波が生じる。それを水素爆発という。
水蒸気爆発は、高温の非常に高温の溶けた金属と、低温の水が接触する。温度差の違う液体感の接触。熱いものがあって、例えば熱い金属の塊。一個一個の金属のかたまりが、周りの水にしゅっと熱をあたえる、周りの水がぱっと蒸発する。沸騰するんです。この沸騰する勢いは瞬間的に周囲の水の600倍。それが水中に、溶融物の塊がありますと、ばばばばばと大規模に爆発する。それを蒸気爆発という。これは非常に怖い爆発。それがおこると周囲に大きく影響をあたえる。
それが原子炉の中で起こりえます。もし原子炉が熔けて、落ちて、格納器の床で起きた時も、それを冷却しようとして水を入れると水蒸気爆発が起こりえます。
原子炉の中で起きる現象として、溶融物がある限り、冷却しなければいけない場合は、水蒸気爆発は起こりうる。
また、再臨界の話もします。(北原記:ここは少し略します・・・00:37:09あたりからお話されています。再臨界についてわかりやすく説明されていますが、文章だけだとあまりにもわかりにくいので、ぜひ図と共にご覧になって下さい。後藤さんは、今回の事故では再臨界の可能性は非常に低いとお話されています)

Q 4号基で使用済み燃料は外にありますが、危険ではないのか?
A 被覆管の中に燃料が入っている。こういう状況で冷却がされている。安定した状態にある。この場合は問題はない。ただ今は、冷却がしなくちゃいけない。これから1年も2年も冷却しなくてはいけないものが、冷却機能を失った装置の中にある。それがしかも、今、建物すらすっとんでる状態。
(それでも)被覆管が健全であるなら、たぶん、大丈夫。この健全性が保てなくなり、燃料が出始めると、これは、大変なことになる。風でさらされ飛ぶ。ここで水素爆発がおきたら、ここはチェルノブイリ型と同じ意味になってしまうのだと思います。

Q 冷却に使用されている海水はどこにいくのか。海に廃棄されるのか。排水には放射脳が含まれているが、周辺環境にはどうするのか。
A 本来は海に排水してはまずいと思う。どういう風になっているかは・・・これだけの大量の水を貯めておける施設があるとは思えない。そうするとそれはどんどん環境に出て行くことも危惧している。もちろんそれを配慮しているかどうかは、私もわかりません。情報を持っていません。

Q 現場の作業員と呼ばれている方々の実態が想像できない。どういう人たちがやっているのか?
A はっきりしたことはわかりません。一般的には電力会社から請け負った方々。今、メーカーの応援も相当入っている、という情報もあります。詳しいことはわからないです。

Q 東電の会見をみていると、情報を隠しているのではなく、情報を把握していないのではないかと見える。
A 情報の出し方がまずい。意図が働いているように見えることもある。そうではなく、コントロールできない、わかんない、ということもある。両方あるように思う。
関連の方が情報開示をしてください、あるいは国会議員の方に言っていただくなり、そういう形でやっていくことで、より情報が出やすくなるかと思います。

<情報に関して、後藤さんのご意見>
私は前から主張しておりますように、きちんとしたプラントの情報を出して下さい。
それはどういうことかというと、燃料棒が露出しているならしている、してないならしてない、どういう状態か、温度はどうか、水位はどうか、圧力はどうなっているか、全部データがほしい。刻々どう動いているか、そういう情報がほしい。
それによって、ああそうか安心できますね、と言える。
ところが、表現として、格納容器は健全です、という。
本当ですか、と、私は思う。
設計で想定する圧力の二倍かかったプラントで、格納器が健全だとは私は思えない。
どこかが変形したりして、そこから若干の放射脳がもれる可能性があるわけです。
そういう情報開示をきちんとしていただきたい。
もう一つ。
ないものねだりをするつもりはありません。
プラントの中のセンサーが壊れているのがいっぱいあるとだと思います。ならば、壊れている、という情報を出してほしい。
温度計が壊れているなら、温度は取れない、ならばどやって温度を推測するのか、という議論ですから。それをきちんとお話いただければいい。
それなのになぜか温度の話は一個も出てこない。
我々は温度の情報がなくて、燃料が溶融するとか、メルトするとかそういう議論をしている。これはものすごくおかしな話です。
そうしたら、情報がないならないと、はっきり言うべきなんです。
そんなこと言うと、素人の人は心配するから、というが失礼な話だ。
人をばかにした話だ。
持っている情報はだすべき。命に関わるんですから、現在は。


放射線量は、出す必要があります。
でもこれは、今出たが水をかけたら減った、というレベルの話ではない。
ずっと継続的に、未来にわたって、我々は被爆するわけです。
ですからここではこういう状態、とずっとモニターする必要がある。

それ(放射線量の情報)に影響をあたえるのは実は原子炉の中の方の問題です。
原子炉、あるいは、燃料プールの問題です。
今どうなっているかという状態の説明をいただいて、放射脳は今のところこういうなっているという話で、はじめて全体像がちょっとみえてくるわけです。

事故の状態ですから先の話がわからないのはその通りだとは思う。でもそれであっても、今の状態で、プラントのあるところが冷却却の状況がおかしいとなったら、それによってどこが危ないとか、どこかおかしいという推測はできるわけですから。その情報をきちんと出しながら、汚染の状態はどうだ、という総合的な情報を出してほしい。それは当然のことだと思います。

保安員の方もそうです。保安員の方としても、ちゃんと我々がわかる状態にして技術データを出せ、ということだと思います。
それを出せないということは、保安員がわからないのだとしたら、それは非常に厳しい環境にあるということがわかるんです。それは、はっきり言うべきなんです。そ
れを言うのは混乱を招くなんてことじゃないんです。
混乱とは、逆にそうではないく、情報を伏せたままの状態でおこる。
大丈夫ですと言って、コントロール出来てます、プラントは止まりました、と言いましたが、それからああっというまに水素爆弾が次々に起こっているんです。
これは、何ですか?
水素爆発のリスクはわかっていたはずなんです。専門でしたら。
ましてやプラントの様様な状況から推測できるんです。
水素爆発の危険性があるとわかっている状態で、その情報を伏せるのはおかしいんです。

私は煽るつもりはありません。
現実に何がおこっているか、という事実関係を正確に出すことは最低限の義務です。何かの意図があり、情報をコントロールしているのならわれわれを愚弄していることになる。私はそう思います。
なぜなら、今、被爆しながら、自分の身体を犠牲にしながら消火活動をしている人たちがいるんです。そういう人たちに、どういう顔むけができるんでしょうか。
我々は現実に立ち向かう勇気を持っているんです。
もたなきゃいけないんです。
それに対して一緒に対処していく。だから現実はこうだ、という情報をだしてもらう。それは当然のことだと私は思います。

03/01: フェミの敵はムード派

ツイッターをやってると思わぬつぶやきが波紋を広げることがあるんだな、って不思議な気持ちになる。最近で言えば、私のこのつぶやき。

「女性は化粧しなくちゃいけないから、大変だよね」という男は少なくない。そういう人は、化粧しない女を規律違反とでも思うのかな。化粧は男や社会のためにするべきもの、と思うのかな。女が大変なのは、化粧より、生理より、言葉の通じない社会に生きてることよ。

このツイに対して「言葉が通じないとはどういう意味ですか !?」と聞いてくる人がけっこういました。確かにザックリした言い方だったな、と思います。ただ例えばそれは、「女は化粧をしなくちゃいけないから、大変だよね」と明るく言う男に対して、はぁ・・・そうすかね・・・と軽く失望するような感覚を積み重ねていった末にできあがる体感なので、感じない人には感じないものだと思います。「女らしさ」とか「男らしさ」とか実態のないものに行動様式を縛られることを前提とした社会で、はぁ、とため息をついた数だけ体感できる「言葉の壁」ってやつなのだと思います。そんな言葉の壁は思いの外厚く、時に絶望を味わう。制度の壁よりもまずその前に、私たちの身体を縛る言葉、私たちの思考を縛る言葉に、私たちは躓いてしまうものだから。そんな思いで、「言葉の通じない社会」という言葉を選びました。

また、思いの外、反感もたくさんありました。
「男もひげそりしてるから大変だ」みたいなアホはおいとくとしても、「言葉を短絡的に捉える北原こそが、言葉の通じない社会を構成している」みたいなことを言う人がけっこういて、ぼんやりとした気持ちになりました。「女尊男卑だ!」と怒ったり、「男も大変だ」という男の方がまだわかりやすいと私は思ってる。そうではなく、「社会に文句を言ってる風の女」に対して、「物の見方が一元的だ」「偏っている」「短絡的だ」と頭が良い感じの文章で語る人たちの、一見何かを言っている風で実は何も言っていないムーディーさに、私は、この人たちの言いたいことは何だろう、とぼんやりとした気分を深めてしまうのでした。

例えば。「女性は化粧をしなくちゃいけないから大変だよね」という言葉には文脈があるのだし、その語彙の背景を読んで反応すべきだ、みたいなことを書いてる人がいました。おっしゃる通りと思います。
例えば私は、友達の結婚式当日に寝坊をしてやべやべやべっ! とあたふたしている時に、同居している男とかに「化粧しなくちゃいけないから大変だよね」と言われたとしても、うるさいよっ! わかってるよっ! と言うくらいで怒らないと思います。自分が「今日はしなくちゃっ!」と思っているからで。でも「女性は化粧をしなくちゃいけないから大変だよね」と女性一般の行動様式として捉え、女の大変さを理解しているつもりの男には、はぁ? と思います。文脈とはそういうことじゃないでしょうか。

また「日常会話に、それほど深い意味なんてないんだから、大げさにしなくても」となだめてくる人もいました。おっしゃるとおりだと思います。私も日常会話に深い意味は求めません。ただ、「深い意味」はないけれど、何気ない日常の会話に「本質」はいっぱい転がっていると思っています。本質が間違ってやしないか、と思う時は、立ち止まってしまいます。そういうことです。

常々思うのだけど、フェミの敵って、バカなことを言う暴力男ではなくて、ものわかりの良いいい人たちなのかもしれないね。ツイッターをやっていると、「一見何かを言ってそうで、実は何も言っていない、自分の意見がどこにあるのかわからない、視聴者みたいな人(=身体は動かないが倫理観の強い傍観者)」がこんなに多いんだなぁと圧倒されます。例えばそれは10才で天才的なツイをしているはるかぜちゃんに、「本当に個性的な人は個性的な文章は書かなくても個性的だよ」とか書いちゃうような感性。”なんとなくいいことを言っている”みたいなムードで発言する人たち。いつの間にか私たち、一億総ミツオみたいな感じになってきているのかもしれない。ミツオの日常化というか。ツイッターは刺激的だけど、時々、過剰なミツオに世界の色が失われるようなく苦しさを味わいます。
フェミは毒を吐く人。ミツオに嫌われてなんぼ、ではありますけれど。

01/10: あけまして。母とのこと。

 知人のお母さんに会う機会があった。たまたま彼の職場に私がいて、たまたま彼の職場に彼の母親が訪ねてきたのだ。彼は私と同世代で、独身で、両親と暮らしている。70代の彼の母ははつらつと若く、きれいに化粧をし、華やかにその場の誰にも話しかけ、手作りだというケーキをごちそうしてくれた。みんなでケーキを食べながら、なんとなく知人の子ども時代の話になる。お母さんが言う。
「うちは共働きだったから、何もしてあげられなかったのよね。この子は一人で育ってくれたようなものよ」
 息子を愛しい目で見つめるようにすると、息子が「よせやい」って感じで、
「そんなことないよ。色々してくれたじゃないか。忙しくても誕生日やクリスマスにはこんなケーキをつくってれただろう。覚えてるよ。自慢の母ですよ」
と言うのであった。すると母親は、
「なにを言うのよぉー、恥ずかしいじゃない」
うふふと、幸福そうに笑うのであった。
 私はへぇー、と2人の顔を交互の眺めた。同じような丸い目をしている。2人を見比べる私を見て、
「似ているでしょ」
と知人はとても嬉しそうに言う。また、へぇー、と知人を凝視する。凝視しながら自分が考えていることにぎょっとする。私は
「これは芝居なのか? まさか本気か?」
と考えているのであった。私には彼らの会話が、テレビドラマにしか出てこないような「親子の説明」のセリフに聞こえるのだから。
 とはいえそれを、鼻で笑うとか、嫌悪するとか、そういう感情を持っているわけではもちろんない。むしろ、へぇ、そうか、こうすればいいんじゃないか、とすら私は思ったのだった。うちの家族に足りないのは、この演技力じゃないか、と。善意の演技力が足りないあまりにギスギスする関係を、本音でぶつかりあえる私たち、と解釈し摩擦し続けてるんじゃないか、とか。そんなことを思った。

 その日の朝、私は母を詰ったのだった。
 “共通の知り合いがどうやら鬱らしい。綺麗好きだったのに、台所には洗っていないお皿がたまり、手入れしなくなった住居はすきま風が吹き、木が腐り床が抜けるほどになってしまっているそうだ。何とか助けられないものか。”そんな話を私がすると、母がこう言った。
「あら、うちも床が抜けそうよ。古い家ってそうなるの」
 なんだかものすごくイラっときたのだった。あのね、床の話をしているんじゃないんだけど・・・と思いつつイラつきを押さえるために、そういえばねっ! と話題を変える。この間中学時代の同級生と再会したのだけど、その時に言われたんだよ。
「みのりさんは大人っぽくて、ちょっと近寄りがたい存在だった」
って! あははー、モテなかったわけじゃないのねぇアタシィ! そんなに大人っぽかったかなぁ! と笑うと、母はにこりともせずに言い放つのであった。
「それは嘘ね。あなたは中学生の頃、ちっとも大人っぽくなんか、なかったわ」 
 これにもものすごくイラッときたが、今度も抑えて話題を変えた。が、変えるたびに着地点が見つからないまま話は横滑り横滑り。
 母は私の話に、「そうね」という共感を一切入れないのである。共感を入れないで自分の意見を言うことが会話だと信じ切っているかのように。だから母はとても楽しそうなのであるが、しまいに何かの話でこう言われた時に私は発狂した。
「あなたは、何も分かっていないからそう言うのよ」
 
 発狂して母を詰って詰って詰りまくった。会話が否定と批評だけでつながっていくことへの苛立ちもあるが、どこかで私が母から受け止めてしまう、この感じ。
「あなたのことは、あなた以上に私が分かっているのよ」
と母が思っているのではないかという苛立ちが、まだ私の心の奥底でブツブツ泡を吹いていて、それは「あなたはわかってない」という母の言葉で簡単に全身の毛穴からブワーッ! と怒りとしてあふれ出てしまうのだ。

 母と娘の関係ほど徹底的に理不尽なものはない。だって、私はあなたの一部だったんだから。その「体感」を私は知らないけど、あなたは覚えているのだから。ここに対等な関係とか、深く理解しあえる関係なんか、ありえないんじゃないか。無理だよ、無理無理。あなたのこと知りたいと思ってたけど、「親友」みたいにきちんと知り合いたいって思ってたけど。私が望むような「理解」を、母は最初から乗り越えていると信じている身体なのだ。不可能なんだよ、対等な関係なんて。あなたは私が怒ってる意味もわからないだろうけど、いいや、わかっていると思っているんだろうけれど、でも、もう本当に無理無理無理! 私はなんだかそんなことを早口でまくしたて、母は「何おこってんのよ」とポカンとしてた。ずっと。

 「自慢の母です」「ほほほ」とほほえみ会う息子と母のような善意の会話は、私のような娘と母のような母の間に訪れることはあるんだろうか。母に対して誠実な個であろうとするばかりに摩擦ばかり引き起こすのであれば、知人のように、他人の前でこんな風に母を褒めることができるくらいに、母を突き放してればよかったんだと思った。それが良いとか悪いとか幸福とか不幸とか、そういうこととは関係なく、分析したところで再構築されるものなど一切ないほどに強烈に固定化された関係ならば、そしてやはり母を愛したい、という欲望が自分の内にあるならば、使い回された安易で善意な「セリフ」がもしかしたら私を癒すこともあるんじゃないかしらん、とか思ったりした。ま、幻想だけどね。娘に対して母親は幻想しないから。だから娘は母にとって他者になりにくい。息子に対しては幻想を持つから他者として認められるのかもしれない。だから、母息子には、善意のセリフが成り立つのかな。

 そんなことを考えた、まぁ、例によってけっこう面倒くさい正月の実家でした。
 今年もよろしくお願いします。


09/21: 東京島

映画「東京島」を観た。原作と全く違うとか、明らかな失敗作だとか、色んな不評は聞いていたが、たしかにとても退屈な映画だった。せっかくの南国の島なのに映像的な美しさや個性が決定的にないし、「ここで高笑い」とト書きに書いてあるように笑う演技者たちに、「楽しかったんだろうなー、この撮影現場」となぜかそんなことを観客に思わせる弛緩しきった空気。
原作と違っていたとしても、映画としての「世界観」がまだそこにあったのなら、と思う。でも、何も見えてこなかった。そのことの空虚に驚くような映画だった。なぜ途中で席を立たなかったと自分を責めたくなるほど。

原作と映画は違うものだと思うので、解釈について何を言いたいわけじゃない。ただ、一点、あっけにとられた「書き換え」だけ記しておきたい。

漂流してきたフィリピン人女性たち。原作にほぼ忠実な人物設定のなか、フィリピン人女性たちだけが書き換えられていて、その書き換えられ方は、陳腐な言葉で言えば、この社会らしいなー、と思う。女どうしの関係を説得力あるように描けない、という意味で。

紅一点の状態から女が複数になった時に、女が何を感じ、どう動くか、という過程を映画「東京島」の監督と脚本家は、完全に書き換えた。
原作では、女たちはやわらかく関わる。紅一点だった清子は女たちと出会い、6年間の無人島生活で一度も味あわなかった感情に出会う。それは「優しさ」という感情だと、桐野夏生は記していた。

映画では、清子を助ける女は、「子どもを故郷においてきた罪を背負う母親」だけであり、母親としての気持ちに共感できるから清子を救う、と描かれる。母親として、母親のあなたを、守る、救う、である。
原作では身重の清子を献身的に守るリーダー(誰もが少しずつイカレテるように彼女もイカレテはいるんだが、イカレ具合にジェンダー絡んでないイカレ方である)の女は利己的で冷たく描かれ、「女」として清子を敵視し利用していた。「ババア」と年上の女をみくだし、“自分の男”(原作にはない設定)が清子とも寝ていたことを知り男に向かって「誰でもいいんだ」と清子に分からない言葉で笑う。

無人島に漂流するという荒唐無稽な設定よりも、女どうしが“理由なく”手を取り合う設定の方が、この映画の制作者にとっては荒唐無稽で説得力がない、とみえたということなのだろう。
男ばかりの島、その中に女一人。だからこそ浮き彫りにされる“トーキョー”が全く見えてこない。むしろ、女が複数になった時にこそ恐ろしい物語が始まる・・・というような物語が、映画「東京島」にあった。そのことに、今更ながらショックを受ける。今のこの社会が“馴染んでいるジェンダー観”みたいなものを、うっかり受け取っちゃったみたいな気分で。

09/15: マリアージュの先。

前回のブログに少し反応がありました。
すべて読んでいるわけじゃないのだけれど、ありがとうございました。

今回、ラブピースクラブがパレードのフロートを出すことになった経緯と、フロートのシステムについて、少し書きますね。

パレードのフロートは、「私たちやりたいです!」 という自己申請で基本的には誰でもできます。車代はパレード実行委員が負担してくれます。フロートの飾りつけやその飾りつけにかかる費用はフロート製作者が負担します。
ちなみに今回、あのフロートにかかったお金は4万円弱。自分ちにあるものを持ってきたり、コンビニから空き缶を拝借してきたり、少しはポケットマネーを出し合いながらつくりました。

ラブピースクラブは去年も「MOIST」というフロートを出しています。この時は、「歩きたいフロートがないね」ということから話が発展し、だったら自分たちでかわいいフロートつくっちゃわね!? と盛り上がり、1日でアイディア出し合い、その場でネットショッピングして(風船買ったり)、アイス食べながらヘイヘイヘーやっちゃおーっ! とノリノリでつくったものだけど。
今年も同じようなもの。「歩きたいフロートがなくない?」ということから、友人が「だったら、やろうよ!!」と、パレードの3週間前というギリギリのタイミングで、1時間くらいでチャチャチャチャと決め、言いだしっぺの彼女とその彼女が、デザイン画のラフを何枚も書いて、これはこーだよねー、とかサクサク話し合って作ったもの。
デザインで一番最初に決まったのは、「ピンクにしようピンク!」と、「SHE LOVES HER」というフロートのタイトル。ま、マリアージュだわね。ピンクの。

だから、「今年のパレードは、同性婚実現が主流派」なんて書いてる人がいたのには、本当に驚いた。そんなことは、絶対にないから。そんな認識、パレードで話し合ったことはないと思う。むしろ、「結婚」ということがあまりにもタブーになりすぎて、誰も怖くて話せない状況なんじゃないのかとすら思う。

私が先日のブログで「結婚制度反対」のグループに反応したのは、彼女たちの「意見」に対してでは、もちろんない。
あえて「マリアージュ」のフロートに入り、あえて「マイノリティ」の立場に身をおき(そんなことないのに)、アンチという立場だけで何かを表現するような運動に、違和感を覚えたから反応したんです。

もし本気で同性婚を反対したいのなら、自分たちでそういうフロートを作ればよかったのに、と思うから。
「結婚に反対している人もいますよ」という可視化だけが目的であったとしても、というか目的ならばこそ、なおのことフロートを自分たちでやればいい、と思うから。
撹乱させることが目的ならば、もっと堂々と前の方で、カップルの目の前でやれ、と思うから。
そういう本気が意見を対立させることだし、話題を提供し、議論を深める姿勢というものだと思うから。
つまりは、紛れるな! と思うんです。

で。結婚制度。

少し前の週刊誌で渡辺淳一&林真理子対談で「日本の婚姻制度は重過ぎる。フランスのパックスが自然だ」と渡辺淳一が言ってた。失楽園書いておいて何を言ってんだー! と大爆笑したけれど、私もそう思ってる。重々しくならない程度にパートナーの”特権”を守る法案はできたほうがいいよ、やっぱり。

”特権”とは、血縁関係者による乱暴な関与を防ぐためのもの(結婚しないのかと聞かれ続けたりという瑣末から、死後の問題まで様々)。また、社会システムを潤滑に利用するためのもの(ANAのマイレージポイントという瑣末から、不動産購入にいたるまで様々)。誰かの”特権”が誰かの”人権”を奪うものではない限り、必要。そういうこと、これからもっと色々話し合っていけたらいいんだ、って思う。
運動のための運動じゃなくて、可視化とか言ってるだけじゃなく、本気で新しいこと、しましょうよ。